8月の伝道掲示板

年はとりたくない

 しかし長生きはしたい

  この虫のよい人間

 

覚法寺だより 第60号

 

暑中お見舞い申し上げます。暑さ厳しき折、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もあっという間に半分が過ぎました。このまま気が付くと一年が終わり、やがて5年10年と過ぎていくのでしょうか。そして年々体力は衰えていきます。若かった頃に出来たことが出来なくなり、「年はとりたくない」と愚痴ばかり増えていくとしたら悲しいことです。

 

蓮如上人は御文章の中で「生あるものは必ず死に帰し、盛んなるものもついに衰えてゆくのが世の道理です。ですから、ただ無意味に明け暮れを過ごして年月を送ることは、どれほど深く嘆いても嘆きつくすことはできません。」(大聖世尊章意訳)とお諭しくださいました。そして、阿弥陀如来のご本願に遇い念仏申す身とならせていただくことの尊さをお示しくださっています。

 

私のいのちには、限りがあります。それも何時どうなるか全くわからず、思い通りにならない「無常」のいのちです。そのいのちを今まで生きてきたのだからこれからも続くだろうと思い込んで生きています。そして、生きていることが普通のこと、当たり前のことのように思い、「死」は、思い掛けない特別なことのように感じているのではないでしょうか。実は、「死」が、必然であり「生」こそが思い掛けない不思議なことといえるのではないでしょうか。

 

「老・病・死」によって知らされる「無常」とは、単にはかなさや移り変わる状態を表す言葉ではありません。そのことによって私たちは、かえって「生」の意味を見つめ直し、その尊さありがたさに気付かされるきっかけとなっていく大切な言葉なのです。

 

念仏者として多くの詩を残された榎本栄一さんの「晩年」という詩を紹介します。

 

肉体は おとろえるが こころの眼がひらく

 人間の晩年と いうものは おもしろい

     今日まで生きて いのちの深さが 見えてきた

 

さて、今月もお盆を迎えます。お盆中8月11日~16日(15日を除く)に、ご自宅でのお参りをご希望の方は、お電話でお申し込みください。また、お寺でのお勤めをご希望の方は、8月15日(月)か8月26日(土)の法座会にお参りくださいますようご案内申し上げます。

 

                       合 掌

    平成29年8月