8月の伝道掲示板

みえないところで

ひとつつながりに

つながって生きているのは

竹やぶの竹だけじゃない

つくしんぼうだけじゃな

      東井 義雄

覚法寺だより 第36

 

梅雨明け以来、酷暑が続いています。皆様、体調管理には十分ご留意ください。覚法寺東京分院の工事は、地盤や天候の影響で基礎工事が遅れていましたが、予定通り先月24日に本堂内陣部分に御本尊を奉懸して上棟式をお勤めさせていただくことができました。

 

 当日は、朝から三〇度を超す猛暑の中、棟梁をはじめ、加勢の職人さん十数名で工事に当たってくださいました。午後4時半頃から上棟式をお勤めする予定でしたが、午後からの雷雨で中断があり、棟木が上がったものの、夜にも雷雨になるという予報のため、野地板(屋根の下地)まで貼りたいとのことで、工事は午後六時過ぎまでかかりました。雨に濡らさないようにと、遅くまで作業に当たってくださった職人さんの姿に感謝せずにはおれませんでした。

 

ここに、工事にあたってくださいました皆様をはじめ、御出席の関係各位に厚く御礼申し上げますとともに有縁の皆様にご報告申し上げます。

 

さて、今月も先月に引き続きお盆を迎えます。最近になってご往生された方のみならず、多くの先人方との繋がりや、今、様々ないのちに支えられていることにも思いを巡らせてみましょう。

 

私たちには、必ず二人の親がいます。その親にも二人ずつ計四人の親がいます。さらに遡ると、十代前には一〇二四人、二十代前には百万人以上、三十代前にはなんと十億を超える先人方がいる計算になるのです。ところが、私たちが想定しているご先祖様は、どのあたりまででしょうか?私の曽祖父母は、八人いますが、覚えているのはたった一人だけです。両親、祖父母を合わせてもせいぜい五~十人以内に収まるように思います。

 

また、私たちが、毎日いただく食事もいのちです。これまで私を導き育ててくださった方々も、これから出会っていく人々も皆、広く深く繋がり合っているいのちです。親鸞聖人は「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり」(命のあるものはすべてみな、これまで何度となく生れ変り死に変りしてきた中で、父母であり兄弟・姉妹であったのです)と仰いました。計り知れない多くのいのちに支えられ願われている身であることを見失わないようにありたいですね。

 

                                                 合掌                                    平成27年8月