5月の伝道掲示板

聞法は

 死の準備でなく

 生の糧である

覚法寺だより 第33

 

 新年度が始まって、ひと月が過ぎました。皆様いかがお過ごしでしょうか。覚法寺分院では、4月15日に遷仏(ご本尊をお遷しする)法要をお勤めさせていただき、27日より解体工事着工致しました。来年一月の完成までご不便をお掛けいたしますことをお詫び申し上げます。

今月は、親鸞聖人お誕生の月です。聖人は承安三年(1173)の5月21日、京都の日野でお生まれになりました。本山や築地本願寺をはじめ、一般寺院でも聖人のお誕生を祝い「降誕会(ごうたんえ)」がお勤めされます。この日、本山では、祝賀能や飛雲閣での抹茶接待など華やかな催しが行われます。

 さて、皆さんは「終活(しゅうかつ)」という言葉をご存知でしょうか。私が初めてこの言葉を耳にしたのは、今から五年程前のことでした。「終活」とは「人生の終わりのための活動」の略で、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉なのだそうです。以来、「終活」関連の本やテレビ番組等でよく耳にするようになりました。遺産相続や葬式、墓石のこと等、これまでは、元気なうちから考えることに抵抗感のあったことと、向き合うきっかけになったようです。

 ここでは、賛否を論ずることを控えたいと思います。しかし、遺産相続の問題も解決して、葬式の段取りも決まり、お墓もできたところで、本当に安心して過ごすことができるものなのでしょうか。自らの「死」に対する不安と怖れは、相変わらず放置されたままなのではないかと思います。

 阿弥陀様は、「老病死」に怯え、怖れと不安の中で生きる私に「大いなる安らぎ」を与えたいと願われ「南無阿弥陀仏」のお念仏の救いを成就されました。

 親鸞聖人は、この道こそ煩悩に振り回されて、迷いの「生」を重ねる者が救われゆく唯一の道であると、自らが歩み明らかにしてくださいました。

 この人生は、阿弥陀様に願われ、親鸞様とともに歩ませていただくお浄土への旅路です。お聴聞こそ本当の意味での「終活」といえるのではないでしょうか。

                                 合掌                                                                            平成27年5月