1月の伝道掲示板

無量寿(むりょうじゅ)

 いのちとは

  すなわち

限りない願いの世界

     平野 恵子

 

 

  覺法寺だより  第17号

 

 新たな年を迎えさせていただくことができました。今年も宜しくお願い申し上げます。

 

私ごとですが、この年末年始に自坊に帰山いたしました。覺法寺では、元日の朝、元旦会をお勤めいたします。正信偈のお勤めに引き続き御文章の拝読があります。御文章は、本願寺第八代蓮如上人のお手紙で、元旦会では、お通夜の席や還骨勤行(火葬が終わり自宅へ戻ってお勤めされます)で拝読される白骨章を拝聴致します。

 

白骨章は「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」とあるように生死無常の理を示し「はやく後生の一大事をこころにかけて、阿弥陀仏をたのみまいらせて念仏申すべきものなり」と、いつどうなるかわからないいのちを生きる身に於いて最も大事は「何がどうあろうともあなたを浄土(お悟りの世界)に生まれさせます。わたしをあてたよりとしてください。わたしの名を称してください。」と喚びつづけてくださる阿弥陀様のお心におまかせし、お念仏申すことですとおすすめくださるものです。

 

私たちのいのちは、風の中の灯火です。正月を祝っている最中にも多くのいのちの灯火が消えていくのです。それは、若いからとか健康だからということで避けられるものではありません。自分は大丈夫だと思っていても無常の風は何時吹くかわからないのです。

 

本当に大切なこと尊いことを聞かせていただくことができるのは、そのうちではありません。蓮如上人は、「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、とんでもないことである。仏法においては、明日ということがあってはならない。」(蓮如上人御一代記聞書155)とも仰いました。また、仏法に深く帰依した人の「仏法は、若いうちに心がけて聞きなさい。年を取ると、歩いて法座に行くことも思い通りにならず、法話を聞いていても眠くなってしまうものである。だから、若いうちに心がけて聞きなさい」(同63)とのおことばもあります。

 

一年の始めに、当てにならないいのち当てにできない私を根底から支え迷いから悟りへといのちの方向をあきらかに示しお育てくださる仏法聴聞の大切さに思いを新たにさせていただきました。ご一緒にお聴聞いたしましょう。

 

合掌

 

  平成26年1月8日