9月の伝道掲示板

合掌は

世界に通用する

言葉である

覚法寺便り 第1号

  

お盆が過ぎ、子供たちの夏休みも終わり、いよいよ秋を迎えました。とは言え、まだまだ暑さ厳しい中、皆様いかがお過ごしでしょうか?今年の夏は、雨が降って一息ということも無く、ずーっと暑さが続いたので私も少々夏バテぎみです。皆様も体調管理にはご注意ください。

暑さ寒さも彼岸(ひがん)までと申しますが、あっという間にお彼岸をお迎えいたします。お彼岸(ひがん・向こう側の岸)は、(しがん・こちら側の岸)に対する言葉です。彼岸は、仏さまのおさとりの世界であり此岸は私たちの住む煩悩(ぼんのう)の世界、迷いの境涯(きょうがい)のことです。

仏さまの世界は自他の対立を超えた世界であり、私たち煩悩に振り回されて生きる世界は、自己中心と自己中心とがぶつかり合う世界でもあります。

先日、テレビの天気予報で、

「今度の日曜日は、久し振りの恵みの雨となりそうです。」と言っていました。

ところが、その日にプールに行く予定を立てていた娘は「えーっ・・・」

 そうなんです。恵みの雨も都合によっては喜べないのです。問題は、天候に好し悪しがあるのではなく、私にとって都合が好いか悪いかという尺度で生きているということなのです。そして、その尺度は、都合によって長くなったり短くなったり定まらないもののようです。同じ言葉を聴いても、褒められたと思う人、嫌味に思う人、何とも思わない人、それぞれなのでしょう。

 合掌する姿は、誰であろうとも尊いものです。民族・宗教・思想を超えて、合掌する姿を見て不快な思いをする人は、ほとんどいないのでは?ないでしょうか。合掌は、言葉を超えた言葉ともいえるのでしょう。

以前、「赤ん坊は手を握って生まれてくる。この握って生まれてきた手は、誰からも教わることなく合掌することはない。」とお聞かせ頂きました。私たちに合掌すること、その尊さを教えてくださった方がいらっしゃいませんでしたか?

私たちを尊い願いをもってお育てくださった先人方に思いを馳せ、仏さまの御教えに確かな尺度を聴かせていただきたいと思います。

覚法寺では九月二十二日午後一時より秋季彼岸会法要をお勤めいたします。ご家族ご友人、お誘い合わせてお参りください。  合掌

  平成24年9月1日

                            覚法寺